親も子供と一緒に成長していくんです。

子供は親のアクセサリーじゃないから

子供の成績が上がらなくて困っている
子供が運動が苦手で困っている

 

子供の将来のためにも、もうちょっと成績を上げて
少しでもいい学校に入れたい

少しでも運動が得意になって
子供に自信をつけさせてあげたい

「子供のために」と言ってはいますが
これって本当に子供のためだけですか?

子供がいい成績を取ると周りから
「〇〇ちゃんはすごいわねぇ」
「〇〇ちゃんはお勉強が出来て羨ましいわ」

と親である自分が褒められたり羨ましがられる。

子供の運動神経がいいと
「〇〇ちゃんは本当に運動神経がいいから
 どんなスポーツをやってもいつもすごい成績出すわよね」
「〇〇ちゃんが部活に入ったおかげで強くなったらしいわよね」
「〇〇ちゃんの運動神経の良さってやっぱり親譲りなの?
 うちは運動神経ない家系だから、羨ましいわ」

という感じで、子供を通しながらも
自分が褒められて気分が良くなる。

 

結局のところ、親である自分が優越感に浸りたい
って部分がないですか?

子供が「いい子」「出来る子」に育つと
周りは子供を褒めるというより
親の教育が素晴らしいとかしつけがいいとかって
親のことを褒めますよね。

自分が「素晴らしい親」「出来た親」だって
認められたいがために、子供を
「いい子」「出来る子」にしようと
必死になってませんか?

 

成績が悪いと
「こんな成績でどうするの?恥ずかしいのは
 お母さんたちなんだよ」

って言ってしまう親もいたりします。

「こんなに運動神経が悪くって・・・
 せめて勉強くらい出来ないと恥ずかしいでしょ」

何が恥ずかしいんですか?
勉強が出来ない子供にしてしまった
ダメな親って思われること?

運動も出来ない、勉強も出来ない
出来そこないな子供に育ててしまったと
世間から思われること?

 

そんなのどうでもいいことじゃないですか?
子供が「いい子」「出来た子」ってことで
自分の価値が変わるもんでもないでしょ。

子供も成績がいい、運動ができるだけで
価値が決まるわけじゃないのと同じように
親だって、どんな子供かってことで
価値が決まるものではないです。

子供は子供だし、親は親。

勉強が出来たり出来なかったり
運動が出来たり出来なかったり

それは子供自身のこと

子供を使って親の「価値」を
周りに認めさせようなんて
浅はかじゃないですか?

子供は親のアクセサリーじゃないんだから。
そこ間違えないようにしてください。

 

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