親も子供と一緒に成長していくんです。

「みんな同じように・・・」を棄てないと


この前、知り合いと話をして
そこから何となく悶々としてたことがあって。

最近の高校って、学力別にクラス編成したりするでしょ。
これを中学とかでもできればいいのにって
話だったんですけど

とりあえず、公立っていうのは色々な子がいるわけだし
みんなに同じように教えなきゃいけないし
これを悪い方向で利用されかねないから難しいよね

そういうのを望むなら
私立に行けばいいよね

ってなったんです。

 

だけど、それ以来なんとなく
モヤモヤしてて・・・

そのモヤモヤは何なんだ?
ってずっと考えてて。


そしたら、パッと出てきました(笑)


そもそも、この「同じように」とか
「平均的」とかっていうのがおかしいんじゃないかって。


何年生だからこれはできないといけないとか
得意な教科だけじゃなく、苦手な教科も
ちゃんと克服しないといけないとか・・・

そもそもそこに無理があるんじゃないの?
って思っちゃったわけで。


だって、みんな得意な教科も苦手な教科も違うわけだし
理解するスピードも違うわけだし
興味のあること、興味のないこと
好きなこと、嫌いなこともみんな違うわけ。


それに加えて、同じようなレベルの子でも
先生との相性も大きく影響するだろうし。


片方はその先生のやり方がしっくりなじんで
どんどん出来るようになるけど

もう一人の子は、その先生のやり方が
しっくりこなくて、理解できないことも出てきた。


ってこともあるじゃん。


それを全部一緒にして
「みんな同じように・・・」
ってやろうとするから無理があるんだよね。


だって、小2で九九を習った時に
理解しきれなかった子が

そのまま3年生になったんだから
九九は出来てて当たり前
次のもちゃんと理解してくれなきゃ困る

って言われても、無理じゃんね。


本当だったら、もう一度九九をきちんと
理解させてあげて次のステップに
いかないといけないのに

小3はここまでできないと困るって
九九が出来ないのに、それが出来てる前提で
次のステップを詰め込んでるわけで。

わからないまま、その先をやらされても
出来るわけないし。


でも九九の出来ない子だって
国語はめちゃめちゃ得意で

中学生が読むような本を
バンバン読んでたりして。


そうすると学校は
「国語ばっかりやってないで
 もうちょっと算数を真剣にやれ」

って怒るんだよねぇ


中学になるともっその傾向が強くなって
「どの教科も平均的にできないと
 高校受験で困る」
って言われて。


「みんな一緒じゃないといけない」
「みんな同じレベルじゃないといけない」
「みんな同じスピードじゃないといけない」

ここに問題があるんじゃないかなと
フッと思って。


そうすると、この義務教育自体
問題があるんじゃない?
ってなっちゃうわけだけどwww


だけど、やっぱり
子供だってそれぞれだし
成長の仕方も違うし


そういうのを大切にいていってあげないと
色んなところで歪みが出てくるんじゃないかなと。


うちの子たちも、この
「みんな同じように」
に苦しんで

学校生活リタイアしたんだよね。


今は自分らしく、自分のペースで
好きなことも嫌いなことも
得意なことも苦手なことも

自分なりのバランスを上手く取りながら
好き勝手やって楽しんでるけど。


こういうことが学校生活を
リタイアしないと出来ないって
いうんじゃなくて

学校に行ってて「当たり前」に
出来るようになれば

不登校もかなりなくなると思うんだけど。

 

それでは、また♪

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