その道は、もう古いから・・・
少しでも、子供が幸せになるように。
少しでも、子供が安心して暮らせるように。
って親心から、
「これから先のために今は勉強しなさい」
「これから先のために今は頑張りなさい」
「これから先のために少しでもいい学校に行きなさい」
別に、特別すごいことを望んでるわけじゃなく
「人並み」の人生を歩んでもらいたい
「人並み」の生活をしてほしい
だから「人並み」のレベルには
してあげないと・・・
でも、「人並み」のレベルって
なんなんだろうって思いません?
そこそこの高校に行って
そこそこの大学に行って
そこそこの会社に就職して・・・
特別高いお給料もらってるわけじゃないけど
そこそこのお給料もらって
そこそこ安定した暮らしが出来て・・・
結婚して、子供産んで・・・
家族でそこそこ幸せに過ごしてくれれば・・・。
親の世代ってこれが
「そこそこ」の幸せで
「人並み」の幸せだったんですよね。
だけど、これは私たち親の世代の話。
今は、これがすごいハードル高かったりするわけで。
これを親に望まれて
苦しんでる子供だっていっぱいいて。
親はこういう「幸せ」を体験してきて
それが「幸せ」だって信じてるからこそ
我が子にも望むんだけど
今はこれが「幸せ」とは限らなくって。
それこそ、みんな「幸せ」の形が違ってて。
昔は、みんな同じレールを歩いてれば
みんなで同じ「幸せ」の場所に行けたけど
今はそんなレールが幻想になっちゃってるんですよね。
「知ってる道」なら大丈夫、
「知ってる道」だから安心
っていう時代じゃなくなっちゃってて。
知ってる道を歩いてたつもりが
突然、道が壊れてなくなってたり
新しい道に変わってたり。
だから、「知ってるから」って理由だけで
疑わずに歩いてると大変なことになっちゃって。
だったら、知らなくても
自分の気になる道、歩いてみたい道
なんだったら自分で道作っちゃってもいいし。
それぞれが行きたい場所に向って
自分なりの道を探せばいいってことなんだよね。
自分の行きたい道なんだから
それぞれ違って当たり前だし
それぞれが正解だし。
初めての道だから
迷子になることもあるだろうし
ちょっと間違えちゃうこともあるかもしれないけど
それはまたそこから修正していけば
いいだけのことだし。
歩いてるうちに
もっと気になる道が出てくるかもしれないしね。
親が歩いてきた道は親にとっては正しかったけど
子供の歩く道は子供が見つければいい。
親が知ってるのは
今までの「古い」道。
もうあの頃の「新しい」道じゃなくなってる。
いつ通れなくなるかわからないんだよね。
どんな危険が潜んでるかわからないんだよね。
だったら新しい道を
通ったっていいじゃん。
新しい道ってワクワクするでしょ。
それでは、また♪