「ない」は「ない」でも・・・

みんな「幸せになりたい」って言うけど
幸せってなんなんでしょうね。

幸せの形って人それぞれだから
「これが幸せです」
というのはないと思います。

自分が幸せだと思えば幸せだし

周りから「幸せだよねぇ」って言われても
自分が幸せだと感じなければ幸せじゃないですからね。

 

ただ、私が一つ思うのは
「自分で選ぶことが出来ている」
かどうかってことです。

結局は、自分の意思で選択していれば
納得も出来るし、幸せに近づけると
思うんですよね。

 

例えば、夏休みに家族で旅行に
行きたいと思っていても

この時期にしかダンナさんの実家に
帰省することができない

しかも休みはお盆だけだから
旅費がかさみすぎて
帰省したらあとはひたすら我慢するしかない

もっと休みが自由にとれれば
別の時に帰省できるし

もっと行きたいとこにも
行けるようになるんだけど・・・

 

こういう人って多いと思いますけど
これも選択肢がない1つです。

ダンナさんの給料もそんなによくないし
休みだって自由にとれないけど
今の会社を辞めちゃったら路頭に迷うから

この生活でなんとかしていかないといけないよねって
他に選択肢がないわけです。

 

これが、
お盆だと親戚みんなが集まるから
帰省はお盆が一番だね

旅行はいつでも行けるから
お盆は帰省にしようね

って形なら、自分たちで選択できてるから
幸せなんだと思うんです。

帰省のために貴重な休みもなくなってしまう
帰省のために出費がかさんで他のことを我慢しなきゃいけない

ってなってしまうから
すごく苦痛になってしまうんですよね。

 

他にも本当はあのブランドのジーパンが欲しいけど
1万円は出せないから、ユニクロで我慢しよう

これも選択できなく仕方なくだから
幸せとは感じられないですよね。

だけど、あのブランドのジーパンを買うつもりで来たけど
ユニクロのジーパンの方がしっくりきたから
ユニクロのジーパンを買おう♪

っていうなら、1万円のジーパンも全然買えたけど
ユニクロの方が気に入ったから、
自分でユニクロを選んだので幸せいっぱいなはずです。

 

行けるけど行かない
行きたいけど行けない

やれるけどやらない
やりたいけどやれない

食べれるけど食べない
食べたいけど食べられない

買えるけど買わない
買いたいけど買えない

同じ「ない」でも
自分の意思で選ぶ「ない」と
選択肢がなく仕方なく選ぶ「ない」
では全然違います。

 

幸せになるためには、
まず選択肢を増やしていくのが
大事じゃないかなぁ

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