親も子供と一緒に成長していくんです。

アメもムチもいらないでしょ


前回、うちの息子が受けた
「アメとムチ」事件を書いたんですけど。

アメもムチも効かないんです・・・


これ読んで

「ひっどいよね~~~」
「これはナシでしょ」

って思う人の方が多いと思うんです。


だけどさぁ、ここまでひどくないとしても
自分達も子供にやってない?


よくあるのが「お金」を使った
アメとムチ


きちんと言うことを聞いたり
いい成績を取ったら

「お小遣いアップしてあげる」

ってアメをちらつかせてみたり。


逆に言うことを聞かなかったり
成績が悪かったりすると

「今月のお小遣いはなし」
「しばらくお小遣い減らすからね」

って思いきりムチを振り回してみたり。


他にも頑張ったら、欲しかったもの買ってあげるけど
ダメだったら、予定してた旅行はナシね・・・とか。


息子の担任の話は極端だったけど
これなら「あるある」って感じじゃない?


だけど・・・


これって
子供のためっていうより
親の都合いいようにコントロールしてるっていうか。


親の思う「いい子」にするために
親の思う通りに動いてくれるようにするために
使ってるにすぎなくない?


褒めるとか叱るっていうのも
似たようなもんで。


褒めるって結局

こっちの思う通りになって
「でかした」って思うから

褒めるんだよね。


叱るのだって

こっちの思い通りに動いてくれなくって
イライラするから

叱るわけで。


そう考えると
アメもムチも
褒めるも叱るも

大人の都合っていうか
自分の思い通りに
コントロールするためのものっていうか。


そうするとね

頑張らないとお金はもらえない
いい子じゃないと欲しいものは手に入らない

期待に応えられなかったら自分のものを奪われる
いい子じゃないと嫌われる

っていうような構図ができ上がってきて

「そのままの自分」でなんていられないわけよ。


行動とか、周りの価値とかとお金が結びついて
お金のことで悩むようになるわけ。


今、お金のことで悩んでる大人だって

「頑張れてないからお金がない」
「自分に価値がないからお金がない」

ってなってる人多いでしょ。


だから、ますますお金に振り回されて。

 

そもそも、できる出来ないと
その子そのものの存在価値って
全く別なのにね。

 

漢字テスト100点取れなかったから
罰として1つ10字ずつ練習しろとか

マラソンのタイムが悪かったから
校庭10週追加とか・・・


そんなことばっかりしてたら
勉強だって運動だって嫌いになるよね。


お金に対してだって
どんどんゆがんだイメージになっちゃうよね。


アメとムチって必要ないと思うんだけどねぇ・・・

 

それでは、また♪

 

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