不登校になった子は、親のことを・・・
「学校に行けないうちの子はどこが問題なんでしょうか?」
「子供が学校に行けないのは、私たち親に問題があるんでしょうか?」
子供が学校を休みがちになったり
不登校になると、まず出てくるのが
このような言葉です。
子供に問題がある?
親に問題がある?
他にもいじめが原因か?とか
勉強についていけないからか?
って特定の「問題」を探したがります。
でも、実はその「問題」を
探す場所自体が間違ってるとしたら?
別にいじめがあるわけじゃない
別に勉強についていけないわけでもない
だからと言って子供に問題があるわけじゃない
親や家庭に問題があるわけでもない
そうなったら・・・
「じゃあ、なんでうちの子は不登校になるのよ!」
「それじゃ不登校が直らないじゃない!」
「うちの子はおかしいの?」
ってパニックになっちゃいます?
何の問題もないけど
別にどこも悪いとことがあるわけじゃないけど
「気が合わない人」
「好きになれない人」
「生理的に受け付けない人」
っていませんか。
それと一緒です。
たまたま、入学した学校が
その子にとって「相性」が最悪だった。
それだけのことです。
普通は気が合わない人や
嫌いな人とは付き合わないって選択肢があります。
他にも勤めてみた会社が
あまりに自分に合わないとか
人間関係がうまくいかなければ
「やめる」「転職する」って
選択肢があります。
選ぶ選ばないは別にしても
選択肢として色々な道があります。
だけど、義務教育って
住んでる地域で学校が半強制的に
決められています。
もしお子さんが
「自分に合わない」
「相性が悪い」
「生理的に受け付けない」
と思っても
選択肢がないです。
これってさっきまであげた選択肢がないのと
同じことなんですが
もっとぶっちゃけちゃうと
同じ11歳5年生の子が3人いたとして
ひとりは平均的な5年生
もう一人は大きな5年生
最後の一人は小さい5年生
なのに3人とも「5年生」なんだから
平均からはみ出してるのはおかしいと
言ってるようなもんです。
5年生なんだから
5年生の標準体形で
5年生が着るサイズの服を着て
5年生の平均の
脳の発達、成長が必要で
5年生らしい
社会性やコミュニケーションが必要で
5年生らしい
子供らしさも必要で
5年生らしい
嗜好が必要で・・・
って「5年生」なんだから
みんな同じように成長しているべき
同じように行動できるべき
同じような好み、センスであるべき
っていうのが
今の義務教育なわけです。
大人だって同い年だとしても
体型も性格も考え方も違うでしょ。
それは当たり前ですよね?
なのに子供には
それを認めてないのが
今の世の中です。
何十人、何百人いる子供たちが
全員同じになんてなるわけないのに。
違うことが当たり前なのに。
それを無理矢理「同じ」にしようとするから
そこに異論を唱えた子がはみ出してしまう。
ということは、異論を唱えて
学校に行かないことは
別におかしいことでも
問題児でもないってこと。
自分の「違う」を
きちんと表現できた
素晴らしい子なんです。
だから不登校になったからって
「うちの子はおかしい」
って思わないでください。
「あなたは自分の気持ちを
素直に出せたんだね。
親にちゃんと言えたんだね」
って喜んであげてください。
あなたのお子さんは
親であるあなたを信頼してるから
不登校になれたんです。
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それでは、また♪